姫路市教育委員会文化財課が発行されている「文化財見学シリーズ」の『飾磨街道』をたずねて(平成30年9月1日発行)から抜粋です。

 飾磨街道(「飾万道」「飾万津道」)は姫路城飾磨門から飾磨津まで、ほぼ直線に敷設された約4㎞の計画道路。「慶長播磨国絵図」では姫路町と飾磨津を結ぶ道が見え、東堀で西に折れ知寶寺(図3⑰)前で南下、御幸橋(図3⑳)を西に渡り姫路藩御蔵(飾万御倉、図3)の東を南下し浜(図4⑥付近)に到るとみられ終点は姫路藩御蔵だったとみるのが妥当でしょう。飾磨門外から飾磨街道沿いの町場9町は飾磨津11町(須加町大町宮町御幸町東堀町田町の裏手6町、細江町・上町下英加町上英加町都倉町の岡手5町)と合わせて飾磨津20町といい姫路藩町奉行所の管轄下で飾磨津町会所(図3⑬)で4人の大年寄が支配しました。
 なお飾磨津物揚場から生野鉱山までの馬車道は東堀南端から現南畝町交差点付近まで江戸時代の飾万道を転用し明治9年(1876)の竣工です。

江戸時代の飾磨絵図(姫路市立城郭研究室所蔵)