旧大町
元、「大町」(おおちょう)といい、前の浜を「大浜」(おおはま)といった。その地域が大きいので呼んだものである。大正6年(1917)、各町村大字の町村浦の文字を除くにあたって、ただ「大」では変だというので、前の浜の名を取って「大浜」と改めた。
魚屋堀跡碑 飾磨区大浜25番地
魚屋(うおや)は岡上家の屋号。当家では代々魚屋彦太夫といい、門前に堀を開き、倉庫を造って海運を盛んにした。その堀を「魚屋堀」と呼んだ。
堀の大部分は昭和6年(1931)の臨海道路築造の時に埋め立てられた。
古い町並み
現在はこじんまりした閑静な町であるが、戦前は寺院2ケ寺、医院2軒、薬局2軒、料亭・旅館2~3軒、芸妓置屋4~5軒、芸妓検番1軒、カフェ飲食店数軒、呉服店3軒、写真館2軒、銭湯1軒、洗濯屋1軒、肉屋1軒、その他八百屋ほか日用品関連の商店はほとんど揃うにぎやかさで、近隣町を含め活気あふれた飾磨の中心的な町であった。
町の区割りも道筋も今にして変わることのない古い町で、隣保名も昔ながらの固有名がそのまま呼び名として現在に残っている。かつては、年末には、誓文払い市が大浜を東西に貫く天神町通りの約200mの間で開かれ、出店、露店が軒を連ねたところは近郷近在の人々の往来でにぎわいにあふれたものであったが、年々歳々衰退して現在の 衰退して現在の姿になっている。