元、今の「細江」と共に「細江村」といったが、江戸時代、この「細江村」を割いて街道筋を町屋敷とし、南の筋を「細江町」、北の筋を「上町」と呼んでいた。その後、明治10年(1877)、この2つの町を合わせて「天神町」と改めた。
「津田の細江」ゆかりの津田の綱敷天神がすぐ川西にあることから、その名を取ったものである。
善行寺(浄土真宗大谷派) 飾磨区天神159番地 永正14年(1517)建立。
光照寺(浄土真宗大谷派) 飾磨区天神59番地
 英賀の本徳寺を亀山に移転させると同時に一部町人や以上の寺院も移転させられた。その後、東西本願寺の分立がおこり、これらの寺は東本願寺(大谷派)に属した。その際、光照寺の西本願寺派の門徒は、同名の寺を飾磨区亀山に創った。
了覚寺(浄土真宗本願寺派) 飾磨区天神151番地
救鱗寺(浄土宗西山派) 飾磨区天神28番地

寛文年間(1661~72)に一空泰准が開いた寺と伝えている。元々、漁師の祀る観音菩薩が合わせ祀られ、寺名の由来となったらしい。本堂は、昭和20年7月3日に戦災を受けて焼失したが、鐘楼門(安永4年(1775)の建築)は戦災
を免れた。現在の本堂は、亀山本徳寺の説教所を昭和27年(1952)に移築したものである。