旧御幸町
 寛和元年(985)、花山法皇が書写山行幸の時に通られたので「御幸町」といい、橋を「御幸橋」(御幸と宮との間、現在はこの橋の東西で「橋東地区」と「橋西地区」とに分かれている)といったと伝えられている。
 元、「ごこうまち」と呼んだが、大正6年(1917)大字の町村浦を除くにあたり「みゆき」と改めた。現在は、再び「ごこう」と呼んでいる。

知宝寺(浄土宗鎮西派) 飾磨区御幸22番地
 この寺は、元、光明寺と称し、天台宗であった。寛和元年(985)、花山法皇が書写山行幸の際に立ち寄られたので、その当時は、この寺を御幸堂とも言った。その後、建永2年(1207)法然上人が土佐へ流される途中に立ち寄ったことをきっかけに、浄土宗になった。