旧宮町
現在、須加にある天満社(浜の宮天満宮)が、元、この地に鎮座していたことで、宮元として「宮町」(みやちょう)とよばれた。天満社(浜の宮天満宮)が須加に移った遷座年代は不明だが、慶長年間のことであり、跡地に姫路藩の貯蔵庫として御蔵が建造された。浜の宮秋季例祭において、元御蔵前を神幸祭の御旅所にする所以(ゆえん)である。
大正6年(1917)宮町の町を外され現在の「宮」と呼ばれる。
旧姫路藩飾磨御蔵跡碑 飾磨区宮16番地先
姫路藩領15万石の内、数万石の米を保管していた倉庫の跡。当時は、船場川、宮堀川の水運を利用して米の輸送が行われていた。当時(現在の御幸大橋の西側には)、御蔵の船着場として入江があった。

旧飾磨津物揚場跡 飾磨区宮180番地
明治9年(1876)に完成した官営生野鉱山馬車道の飾磨物揚場の赤レンガ造りの倉庫。設計はフランス人のシスレーで、70万個のレンガを使用したと言われている。現在の浅田化学工業株式会社の敷地内にあった。レンガはイギリス積みといわれる。
生野銀山、鉱滓のからみ石が護岸に使用されており、正門脇の池畔にもからみ石が置かれている。

播州飾磨彫刻師・松本義廣
播州飾磨彫り、彫師・初代松本義廣(1830~1908)を始祖とする松本一門(義廣名)は、三代にわたって飾磨区宮12-3に居住し、明治初期より昭和33年(1958)までの間、彫刻師としての名声とその地位を築き、確固するところとなった。
播州一円における屋台の狭間及び寺社の彫刻において数多くの名作を残すとともに、地元飾磨をはじめ近郷においても多数の弟子を輩出し、現在においても強く受け継がれている。
現在の当町屋台の狭間は、三代目松本義廣の作品(昭和25年(1950)作)が二面現存装飾され、あとの二面においては松本義廣一門の津利義幸(本名・釣 寅太郎)の作品で、歴史や伝説の名場面が彫られており、現在に至って伝承されている。
